スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
│posted at --:--:--│
2013.02.26(火)

誓いのコイン

毎月 月末になると・・・
目標更新数に届くようにと焦っているのですが・・・

特に 2月は 28日しかないので
前半は 結構頑張っていたのですが・・・
後半は 周囲の異動やなんやかんやと 
取り巻く環境が変わっていきまして
取り巻く環境に慣れている間に 早くも 26日ではありませんか

ヤバイ ヤバイ ヤバイぞ~!!


ということで 本日は少し古いお話
金貨
2011年4月9日(土)~2012年3月中旬まで
坊ちゃん劇場で公演されたミュージカル『誓いのコイン』


2010年1月26日(火)
松山市は、松山城二の丸跡の井戸で発見された1899年製のロシアの金貨に、
ロシア人捕虜とみられる名前と、日本人の名前が刻まれているのが見つかったと発表

コイン

二の丸跡には1885年、陸軍の衛戍病院が建てられ、
日露戦争時代は捕虜収容所病院の役割をしていたそうで・・・

この金貨 よく見てみると・・・
右上にカタカナで「タチバナカ」
下側にカタカナで「コステンコ ミハイル」
左上にロシア語で「M・コスチェンコ」
と刻まれていますw

2010年1月26日の時点で 
当時中村時広松山市長は、
「経緯は分からないが、友情の証しに彫ったのではないか」
と談話を発表していますw

1904年の海南新聞(現愛媛新聞)に、
ロシア人士族で当時24歳の歩兵少尉ミハイル・コステンコが松山市で収容され
治療を受けたとの記事があり、市はこの人物にかかわりがあるとみていますw

しかし・・・
「タチバナカ」という人物の情報はなく、情報を求めていました

当時 局長も このニュースを 新聞で読んで
ものすごく 感動をしたのを覚えていますw
松山には 「タチバナ」=「立花」さんって人いるから
松山らしいニュースだなって・・・

きっと ロシア兵と 「タチバナ リキ」さんっていう男性が
出会った記念に コインに思い出を掘ったんだろうって・・・

実は 局長も小学校6年生の 卒業前に
放課後 なんとなく 校庭に残って遊んでいたら
用務員のおじさんが コンクリートのブロックを
敷いていたので 「お手伝いをします」と言いながら
その コンクリートのブロックに 友達と名前を掘ったのを思い出したり・・・

うん うん 「ミハイル」と「リキ」の気持ちよくわかる
って思っていましたから


2010年2月9日(火) 
事態は一転しますw
松山市の中村時広市長は2月9日(火)の記者会見で、
松山城二の丸跡の井戸で発見された
ロシア人の男性捕虜と日本人とみられる2人の名前が刻まれた
1899年製ロシア金貨 について、
日本人は近くの病院で勤務していた女性看護師の可能性が高いと発表

日本人について市は当初、金貨に「タチバナカ」と刻まれているとしていたが、
その後、 「チ」ではなく「ケ」と読める細い下書きを発見。
「タケバナカ」という人物がいなかったかどうか調べると、
1904年の海南新聞に「竹葉ナカ」という看護師がロシア人捕虜を
収容していた病院に勤めていたことが報じられていた

松山市教育委員会によると、当時の海南新聞(現愛媛新聞)に、
2人が恋愛関係にあったことや、関係が引き裂かれたことをうかがわせる記述があった

その後、中村市長は、両者のプライバシーを鑑みて、
これ以上の調査を控えさせたそうですw

1904年当時 松山市の人口は3万2千人ほど
ロシア人捕虜の人数が 4千人
人口の8分の1がロシア人捕虜だったそうで・・・

日本軍は捕虜に対しては武士道精神で寛大で、
ロシア人捕虜たちは許可された区域内であれば、市中を自由に散歩できたそうですw

そんな時代の中で 「ミハイル」と「カナ」は出会い
そして つらい別れを経験することに・・・

しかし・・・
海南新聞(現愛媛新聞)は そんな情報を新聞の記事にしていたんですね・・・


そんなお話が冒頭の『誓いのコイン』という
ミュージカルで公演されていたそうですw

見てみたかったなぁ~
スポンサーサイト
スレッドテーマ:雑記 ジャンル:日記
│posted at 23:27:39│ コメント 0件トラックバック 0件
≫コメント 
≫コメントを書く







 削除や編集のときに必要です。
管理者にだけ表示を許可します。
≫トラックバック 
●この記事へのトラックバックURL

●この記事へのリンクタグ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。