スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
│posted at --:--:--│
2014.01.24(金)

コンピョウさん

ちょっと野球ネタばかりつづきますが・・・

近藤 兵太郎 っていう人物のお話
近藤兵


1888年(明治21年)に愛媛県松山市萱町で生まれ
1903年に松山商業に入学
 創部間もない弱小の野球部に入って内野・外野手として活躍
 主将も務めた
 愛媛県立松山商業学校から早稲田大学に進学
1918年(大正8年)に松山商の初代・監督となり
1919年に松山商を初の全国出場(夏ベスト8)へと導く
1919年秋 野球部コーチを辞任すると台湾へ赴き
 嘉義商工学校に簿記教諭として着任


そのあと ドラマは はじまりますw

嘉義農林野球部の初代監督は安藤信哉という人物
初陣となる試合で大敗してしまいます・・・

部員全員でどうすれば強くなれるか真剣に話し合ったところ
噂の「コンピョウさん」に指導をお願いしてはという事になり
部員に説得を頼まれた 安藤に口説かれてコーチに就任することに・・・

「コンピョウさん」は台湾最強チームを作るべく 台湾全島をくまなく歩き回り
有望な選手を探し出して嘉義農林へと呼び寄せますw

そして 松山商直伝の「スパルタ式訓練」で選手を鍛え上げ・・・

当時 日清戦争で日本に割譲されていた台湾は
甲子園に参加することができており
1931年(昭和6年)嘉義農林を全国大会へと導き
創部3年目にして 第12回甲子園大会初出場を達成

チームは決勝まで進み・・・
決勝では 吉田正男を擁してこの年から史上唯一の
3連覇を達成する事になる中京商に0-4で敗れ準優勝に終る
近藤兵
準優勝したメンバーのうち レギュラーメンバーは日本人が3人・台湾本島人2人・先住民族高砂族4人
という混合チーム
このときコンピョウさんは 差別や 偏見を持っておらず
「日本人 台湾人 先住民族が混ざりあっている学校 そしてチーム 
これこそが最も良い台湾の姿だ それが負けるとしたら努力が足りないからだ」
と言ったそうですw

この「コンピョウさん」はとても厳しい人で・・・
「マムシに触っても近藤監督にさわるな、と皆んなが囁き合うほど怖い人であった。」
と言われるほど・・・


「コンピョウさん」語録を紹介すると・・・
「球は霊(たま)なり、霊(たま)正しからば球また正し……」
「暗くてもバットは振れる。心眼で打つ球を見定めてバットを振れ」

なんだか使えそうなお言葉ですw



そんな「コンピョウさん」の映画がこの度公開されますw
台湾映画『KANO』
KANO

「コンピョウさん」を演じるのは 永瀬正敏
2014年4月に公開されるそうなので
日本プロ野球開幕直後に 台湾野球の礎を作った
松山市出身の 「コンピョウさん」の映画を観てみたいとおもいますw
スポンサーサイト
│posted at 13:10:31│ コメント 0件トラックバック 0件
≫コメント 
≫コメントを書く







 削除や編集のときに必要です。
管理者にだけ表示を許可します。
≫トラックバック 
●この記事へのトラックバックURL

●この記事へのリンクタグ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。